目覚めよ、実は絶望とは光への扉(Retrun To The GOD)

人はおおまかに3つに分類できる。 一つは、現実の世界に没頭している者 二つは、意識の世界に気づいた者 三つは、存在への回帰の帰路へ立った者。このブログは三つ目の人用

愛って何ですか?


愛とは何か、答えらるでしょうか?
先を読み進める前に、少し時間をとって思ってみて下さい。









男性が女性を好きになったりすることでしたか?
子が親を思ったりすることでしたか?
ペットを愛でたりすることでしたか?


それも大きく見れば、愛の一部ですが
愛それではありません。
その個人的な愛というものは何かの拍子に憎しみに変わります。
それは愛ではなく、好意です。
好意であるから敵意に変わります。


心にある価値観や善悪の考え、欲求を捨てることで、
ただそれだけ、
平穏や安堵、静寂は感じれます。
自身がそれであったと、もともとあったものだと、最初からあったと
感じることができます。
しかし、それでも愛や喜びはなかなか感じることができません。


自身に焦点を当てつづけ、捨てるものが認識できなくなると、
自身は何もない状態であることであるとの理解に至ります。



何もないということ。
この事実を人はあまり思いに留めません。


朝起きれば、起きて自分がいるのが当たりまえに感じます。
世界があることが当たりまえに感じます。
生きることが当たりまえに感じています。
特に努力することもなく当たり前にある日常故、
気にもならないのが当然といえば当然です。


ですが、
ここで考えてみて頂きたいのです。
その脳が思考が、可能な範囲で想像してみて頂きたい。
自身が何もない状態であると知ったならば、
何もないということがどういうことなのか。
何もないということが当たり前の状態だったら?・・・



その視点にたった時、
愛が何か見えてきます。
それは、
何もないという静かな状態から存在として誕生する神秘への感動です。


それは、自身の中で産まれでてくる感情だったり、
自身から見える世界、誕生した景色だったり。
どんなものでも、何もない状態に現れる何かは、
その視点からはどんな風に思えるでしょう?


どんな感情であれ、喜ばしく思えます。
どんな景色であれ、微笑ましく思えます。
存在として誕生できたそれを祝福したい思いが感動と共に自身の中に湧いてきます。
それは、まるで、
子を産む母親のような感情です。


その愛は、他人や他の存在を必要としません。
あなたの中からあなた自身のことについて感じる愛です。


愛や微笑ましいよろこびは
静寂や平穏、安らぎ同様、もともとここにあるものです。
存在という本当のあなたは、あなたを愛しています。
あなたに幸せであって欲しいと思っています。

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